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高知地方裁判所 昭和36年(ワ)348号 判決

原告 申島貞雄

被告 国

訴訟代理人 大坪憲三 外二名

主文

被告は原告に対し金五、〇〇〇円及びこれに対する昭和三六年一二月五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は「被告は原告に対し金三三万円及びこれに対する昭和三六年一二月五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一、原告には「昭和二七年九月一〇日、高知地方裁判所において、住居侵入罪により、懲役三月に処せられた」前科(以下本件前科と称す)はないが、高知地方検察庁前科係員がその職務を行うにつき過失により、昭和二九年九月二九日頃、訴外原甚太郎の本件前科が、検察庁備付の犯罪人名簿の原告欄に誤つて記入された。

二、原告を被告人とする松山地方裁判所宇和島支部昭和三二年(わ)第四一号窃盗、有価証券偽造、同行使、詐欺被告事件の公判期日において、右犯罪人名簿の原告欄の前科の記載を基礎として、高知地方検察庁係事務官が作成した原告の前科調書が提出され、これが取調べられたことから、本件前科が右事件の累犯となる前科であると認められ、同年五月二一日、同支部において、原告は懲役一年に処せられた。

三、その結果原告は累犯加重により刑期を不当に量定され、刑務所においても前科が一犯多いものとして待遇され、受刑中釈放日の二〇日前に実父が死亡した際、その臨終に立会うことができない等不当に名誉自由を侵害され、精神的に大なる苦痛を受けた。

四、よつて原告は被告に対し、右侵害による精神的損害に対する慰藉料金三三万円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三六年一二月五日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べた。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、請求原因第一項及び第二項記載の事実は認めるが、同第三項及び第四項記載の事実は否認する。」と述べた。

立証〈省略〉

理由

一、およそ刑事被告事件において、被告人が与り知らぬ虚無の前科を実在するものとして取調を受け、これが累犯加重の原因たる前科の一として取扱われたごとき場合は、当該被告人が後日に至つて右事実を発見したとしても、通例これに因つて名誉を侵害され、精神的苦痛を蒙るに至ることは多言を要しないところ原告主張の請求原因事実第一、二項の事実は当事者間に争のないところであり、原告本人の供述によれば、原告は該事実に因りその名誉を侵害され、相当の精神的苦痛を蒙つたものと認めることができる。尤も成立に争のない甲第一号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告には昭和三二年五月二一日松山地方裁判所宇和島支部において処罰を受けた際、本件前科を除いて十七の前科があつたことが認められるけれども、多数の前科を有する者であるからと言つて、等しく人格権に基く名誉感情を有することは論を俟たないから、原告に多数の前科の存することは前認定の妨げとはならない。

二、つぎに、原告は本件前科のため、不当な量刑を受けたと主張するけれども、成立に争いのない乙第四号証によれば、前記宇和島支部における判決において原告が認定された累犯前科は単に本件前科のみでなく、その他に(1) 昭和二七年八月五日、高知地方裁判所において、詐欺罪により懲役一年六月に処せられた罪、(2) 昭和二九年五月五日、高松地方裁判所において、同罪により懲役一年に処せられた罪、(3) 昭和三〇年九月一五日、同裁判所において、同罪により懲役一年六月に処せられた罪があつたことが認められるところ、我が刑法における累犯加重の制度は、再犯の者の刑をその罪につき定められた懲役の長期の二倍以下において処断する旨定めるとともに三犯以上の者については再犯の場合の例による旨定められているところであるから右事件の判決において、本来三つであるべき累犯前科を誤つて四つと認定したからといつて、その処断刑の範囲には何等影響はなく、又前記前科数に照し、本件前科は宣告刑にも影響がなかつたものと推認するのが相当である。更に原告は本件前科のために、原告が刑務所において、前科が一犯多いものとして待遇され、受刑中釈放日の二〇日前に実父が死亡した際、その臨終に立会うことができず、不当に名誉自由を侵害された旨主張するけれども、原告本人の供述により認められる右実父死亡の点を除き、何れもこれを認めるに足る証拠はない。

三、しかして本件前科が実在するものとして前記のように取扱われるに至つたのは、結局前記高知地方検察庁前科係員の誤つた犯罪人名簿の記載に基き作成された前科調書の取調によるものに外ならず、右名簿の性質上将来刑事被告事件において前科調書の基礎として使用されることは当然予見し得べきところであるから、原告の蒙つた精神的苦痛は右名簿の誤記に原因するものというべく、右係員は該誤記につき少くとも過失の責を免れず、被告は原告の蒙つた精神的苦痛を慰藉すべき義務がある。

よつて慰藉料額について考へるに、成立に争のない乙第一乃至第一一号証、原告本人尋問の結果により認められる原告は六二才で、台湾で官庁に勤務していたことがあつたが後現在まで二一回の前科を累ねたものであること、本件前科は前記宇和島支部の判決の執行後昭和三六年六月に至り原告においてこれを発見したこと、その後所管庁に申出で、前記の高知地方検察庁の犯罪人名簿、その他関係庁の犯歴カード等の本件前科の記載が抹消されたこと、その他諸般の事情を綜合すると原告に対する慰藉料は金五、〇〇〇円を以て相当と認める。

四、以上のとおりであるから原告は被告に対し右金員及び本件訴状送達の翌日であることの記録上明らかな昭和三六年一二月五日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を請求する権利があり、原告の請求は右の限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 合田得太郎 島崎三郎 大須賀欣一)

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